ハウルの何が好きかと言われたら、少し悩みます。
けれどやはり、それぞれの成長する姿に惹かれるから、と答えると思う。
城で孤独に生き、美しさでしか自分の存在の意義を確かめられなかったハウル。
消極的で、流されるままに生きてきたソフィー。
一人城を守りながら、ハウルの帰りを待ってきたマルクル。
己とハウルの身の破滅を予感しながら、どうすることもできなかったカルシファー。
他人の不幸を招くことで空しさを誤魔化しながら、王室に再び召し抱えられることを夢見てきた荒地の魔女。
そんな彼らが出会うことで、皆が皆、少しずつ変わっていく。
ハウルは、守るべきものを見付けたことで自分を勇気付けることを学んだ。
「僕はもう充分逃げた。ようやく守らなければならない者が出来たんだ……君だ」
印象的なこの台詞。表情も声音も穏やかで、魔女除けのまじないの中で力無く横たわっていた彼とは、まるで別人のよう。
ソフィーは、年老いたことでかつての自分と決別することができた。
大声を上げて怒ること、力一杯泣くこと。父親を失くしてから、彼女はずっと、感情の高ぶりを押し殺してきたんじゃないかと思う。
マルクルは、家族の温もりを思い出した。
「僕ら、家族?」と希望に満ちた目でソフィーを見上げるマルクルも、「おばあちゃん、大丈夫だよ。僕がついてるからね」と逞しさを見せるマルクルも、子供らしく健気で、愛おしくてたまらない。
カルシファーは、コミカルなキャラクターであるだけに脳天気に見えるけれど、ハウルのことも、初めて会ったソフィーのことさえも気にかけているのが分かる。
そんな彼は、ソフィーに会って初めて褒め言葉をかけられる。暖炉を窮屈に感じていた彼が解放されてもすぐに戻ってきたのは、『家族』の温かみを知ってしまったからだろう。
自分の意志で炎の姿を取り、城を動かすこと。きっとカルシファーも、楽しんでいるのだろうと思う。
荒地の魔女は、見た目からして劇的に変化する。一番苦笑を買うキャラクターだろうけれども、やはり憎めない。
彼女は最後、ソフィーの切実な願いに応えて、炎に包まれてさえも譲ろうとしなかった大切な物を彼女に与える。
彼女もまた、孤独な世界を抜け出したことで、人間らしい心を取り戻したのだと思う。
駿さんの作品には、悪人と呼ばれるべきであろうキャラクターにもストーリーが見える。どんな脇役にも、それぞれの物語があることを印象付けながら、話が進んでいく。
そこが、宮崎アニメの大きな魅力の一つなのだろうな、と思う。
とまぁ、つらつらと語ってはみたけれど、これはあくまで私の見方であって、私には見えてないことを見ている方も、違う解釈をしている方も沢山いるだろう。
それもまた映画の面白さの一つだし、人の見方を覗くのも、とても好きだ。
見る人によって色を変える作品。そんな作品に出会えることは、そして様々な意見を目にすることができるというのは、本当に楽しいことだ。
これだから、映画を語り、レビューを読むのはやめられない。
ちなみに七人の仲間は、ハウル、ソフィー、カルシファー、マルクル、おばあちゃん、ヒン、カブです。
血は繋がっていなくても、みんな家族。
暖かさに満ちた城は、本当に居心地の良い場所なのだろう。